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ベットから出れない男性

【うつ状態】初めての心療内科に行って言われたこと

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商品企画部でピンチをのりきった私ですが、勝手に期待値が上がっていきました。できもしない事がうわさレベルで勝手にできる事にされています。とうとうオーバーヒート立てなくなった私の診断結果はというと「うつ症状」休職を余儀なくされたのです。

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無事新店をオープンさせて本社に戻ってきました。[sitecard subtitle=前回記事 url=https://www.nobilife.com/1111/]上司に逃げられながら1人で店舗をオープン[…]

ストレス



布団から出れない

激務が過ぎたのでしょうか、いや私でなければこなせた仕事かもしれない。私は甘いんだ、ここにおいてもらえているのに、期待に応えなければならないという日々、以前からよく眠れなかったり、クヨクヨする日や、言葉が出てこない日々などが続いていました。

絶対クビになれない、親父の連帯保証が払えない、絶対頑張るんだ

休みの日も何もしたくない日が続いていました。感情がなくなったというか、何をしても楽しくないのです。

そして営業会議の日、朝目が覚めて起き上がろうとしましたが焦る気持ちとは裏腹に立とうとしない体なんというか言う事を聞いてくれない感じです。

家を出る時間が過ぎました。行かなければいけないという思いとは裏腹にこれでもう楽になれるんだというなぜか安堵感、もう情けなさすぎて涙がつーっと頬を伝っていきました。



上司からの連絡

会社に電話をしようと思っても手が動きません、やがて始業時間が過ぎ上司からの電話が鳴りました。いつもだったらいの一番に出て、変な冗談を言っていた私が、わかっていても怖くて出る気になりません。いや、出るのが怖いというか出る気にならないというか、とにかくしんどいのです。

心配してかけてくれているのは本当によくわかるのですが、なぜか出れないのです

この電話は数十分おきに何度もかかってきました。そのうち同僚からかかってきました。そして後輩からもです。しばらくは布団をかぶって寝ていましたが午後になると少し楽になってきました。

意を決して上司からの電話に出ます。もう会議は終わっているであろう時間…

上司が出て一言「あーよかった…」 私はひたすら謝り続けました。 

「しばらくこっちはいいから病院に行ってきなさい」上司は私にそう言って電話を切りました。なんでしょう、安心したは安心したのですが、もう商品部にはいられないんだと感じました。



そして病院へ

 

上司は「心療内科」に行けと私に教えてくれました。初めて聞く名前です。

調べると「心の病」だそうです。この当時はまだ今よりうつ病自体が怠け病だと言われていた時代でした。私には半信半疑でした。心療内科に行けば社会復帰はできないのではないかとこの当時は本気で思っていました。正直抵抗がありました。

消えて無くなりたいとまで思っていました。

病院を予約しましたが、両親にも言えませんでした。ただ、休んでいて診断書を出さないわけにはいきません。怖かったのです。

待合室で、周りを見渡すとかなりの人が待っています。こんなに人いるんだという思いがありました。いままで自分自身がこうなると思っていなかったので、どちらかというと偏見を持っている状態でした。

血液検査がありました。これは意外でした。

病院に行き先生とカウンセリングのようなものをしてもらった後、一言「うつ症状」が出ているね。診断書には「自律神経失調症」と書いておくね、とはっきりと私に言うのを避けてくれました。

少し頑張りすぎたみたいだね、気持ちでアクセルを踏みすぎて体がついてこない状況だよと先生はおっしゃいました。薬を飲んでちゃんと直してね。と

自分を責め続けて完全にオーバーヒートしてしまったのですね。

休職に入る

心にガソリンを入れる

それからひとまず無期限の休職に入りました。

薬をちゃんと飲みながら、何も考えない事を徹底することでした。この時の様子は正直よく覚えていませんが、ひたすら寝ていました。

薬は食後に調子が良くても必ず取ることと、自分がこうなったことを責めない事、仕事は

まとめ

疲れが取れない事が続いていたら、体がオーバーヒート気味

・「うつ」は心の病気、心の風邪である怠けでは無くむしろ頑張りすぎ

・会社がすべてと思うとますます重くなっていく、会社に心を依存させない

自分を絶対に責めない事その時点で相手に心を奪われている。

行政のセーフティネットがある。何とでもなるので絶望してはいけない

その後、父親の会社は清算となりましたが、担保に取るものがなくなにもなく終わりました。そして私の連帯保証の話もなくなり、それを聞いてから少しづつ動けるようになってきたのです。

ただ、本社にはもう復帰できないと残念な気持ちはずっとありました。父親の事が無ければ絶対にまだ続けられていたという思いが残っていたのです。

「せっかく周りに馬鹿にされながらここまで上がってきたのに、終わりたくない…」

休みに入ってから半年くらい経ちましたでしょうか、こんな思いが沸き上がってきました。
久々に職場に面談で顔を出しました。

「席を開けて待っている。安心してくれ、ただ無理はしない事」

申し訳ないと思いながらももう少し休むことにしました。

次回記事

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心にガソリンを入れる
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